最近読んだ本。戦前・戦中編。

 元々、本は比較的良く読むほうであると思うが、じっくり読むことはあまりない。従って、内容も良く覚えていないし、最近では新たに買った本をだいぶ読み進んで、前に買って読んだ本だと気付くことも時々ある。

 昔は池波正太郎とかを良く読んだ。読みながらテレビ化したら良いと思っていたものもあったが、藤田まこと主演で現在既にやっている。小説で読んだ以上の内容になっていないのが残念。

 年もとったし、最近では時間つぶしのくだらない本は極力読まないようにしている。

 先日、子供を連れてブック・マーケットだか、オフだかに行った。暇潰しに本棚を見ていると中公文庫の『甘粕大尉』という本があった。甘粕大尉は関東大震災の時に無政府主義者大杉栄と妻伊藤野枝、そして6歳の甥宗一を絞殺した中心人物とされている。こんな人間がどのような一生を送ったのか知りたいと思っていたところであったので読んだ。甘粕が虐殺するに到った理由は軍上層部からの指示のようであるが、甘粕はその後、満州国に渡り、陰の立役者として生き、終戦で自殺する。
 この事件でもそうであるが、日本では軍隊が内部でそれぞれ勝手に動く、即ち、指揮命令系統が出鱈目である印象を受ける。

 次に新潮社の『白州次郎 プリンシプルのない日本』と『風の男 白州次郎』を読んだ。白州次郎は1902年(明治35年)に兵庫県の実業家の次男として生まれ、神戸一中卒業後、イギリスのケンブリッジ大学に留学。日本が米国と戦争することや敗戦することを予測し、1943年には鶴川村で百姓になる。敗戦後、吉田茂に請われて終戦連絡事務局参与となり、日本国憲法成立などに関与。

 この人を見ていると本当に人生は不公平だと思う。この後に城山三郎著、新潮社の『指揮官たちの特攻(幸福は花びらのごとく)』を読んだが、同じ戦前、戦中を生きて、一方は何不自由なく生き生きと生きている一方で、片方は貧乏ゆえに軍隊に入るしかなく、特攻として散っていった人達。

 私は白州次郎のような人間は社会に絶対必要であると思う。それはあの時代にケンブリッジに留学し、それもせこせこ何かの為に勉強するのでなく、自由に勉強したがゆえに世界情勢をきっちりと把握し、日本の開戦と敗戦を予見するだけの知識と判断力を身に付けていたというのは凄いことである。この辺を見ると藤原正彦(国家の品格の著者)の言うエリートによる政治の必要性も分らぬではない。 

 一方、旧日本軍の馬鹿さ加減が尋常でなかったことは、戦記ものの大半の中に読み取ることが出来るが、『指揮官たちの特攻(幸福は花びらのごとく)』の中でも終戦の8月15日に部下に終戦の事実を知らせもせず、11機での特攻に出発した第五航空艦隊司令長官宇垣纒中将なんかの卑怯さは許せない。このレベルの人間が部下を持って、どんどん部下を死地にやっていたのだから日本が勝つはずもない。

 日本軍はあの真珠湾攻撃の時から特殊潜航艇によるほとんど特攻攻撃に近いことをやっている。一人は捕虜になったから10軍神ではなく、9軍神として祭られたが、最初から人命なんか考えない作戦を実行している。白州次郎並の国際的事情通が軍中央部に一人でもいれば、日本の軍隊組織もちっとは変わっていただろうに。山本五十六もアメリカに留学していたと思うが、ちょっと人間的に弱かったか・・・・。

 まあ、最初から人命軽視で進んだために軍は工夫することを放棄したようなものである。ゼロ戦は優秀な戦闘機だったと言うが、防弾装置は無いし、機体強度が弱い為に急降下できない。アメリカはその点を突いて、高馬力、高速、高強度のグラマンを開発して、後ろに回られたら急降下して逃げる。本当に馬鹿な軍上層部によって殺された人達は可哀想だと思う。そんな人達が靖国神社に馬鹿上官と一緒に祭られたいと思っていると思うか?

 私の父は陸軍でラバウルだったか、南方に行っている。マラリアで体重30kgまで減少し、運良く日本に戻れた。父の兄は外地で戦死したようである。父は仏壇で手を合わせることがあっても、靖国の“や”の字も言ったことが無かった。軍隊の話も父から良く聞いたが、やっぱり暴力と連帯責任のはびこる組織であったらしい。無駄なことに精力を使う馬鹿げた組織。上官の命令は天皇陛下の命令だと言うなら、天皇陛下の兵隊に暴力を振るう上官とは一体何なのか?

 7月27日朝日新聞朝刊。A級戦犯 広田弘毅元首相 遺族、靖国合祀に異議 神社側「事前合意得ず」の記事。勝手に合祀するのはおかしいだろう。孫の弘太郎氏は「靖国神社と広田家とは関係ない」と言っている。祀られたくないといっている人間を強引に祀る靖国神社とは何なのだ。戦前の靖国の名の下に日本国民総玉砕を企んだ組織の一つが現在もうごめいている。

 広田弘毅元首相がどういう人物であったのか。広田弘毅を主題にした城山三郎著『落日燃ゆ』新潮文庫を現在読んでいる。広田弘毅は現在の福岡県立修猷館高校から一高、東大に進んだ人物で貧しい家の出。広田は外務省関係の仕事を目指し、世界情勢を理解し、国際協調路線推進者であった。2.26事件直後の1936年3月から37年1月まで首相を務めた。当時の内閣の閣僚には軍部から海軍大臣と陸軍大臣がいた。軍部は自分達の気に入らない事があると陸海軍大臣候補者を出すのを拒否することで組閣を妨害したり、内閣を潰したりしている。要するに当時の政治は軍部の気に入らない事があると全てぶっ潰されていたのである。

 ここまでちょっと戦前・戦中関係の本を読んで気が付いた事は、日本の軍隊は全く統制が取れていなかったと言うことである。満州に出張った関東軍、2.26事件、5.15事件。大杉栄事件もしかり。軍内部でそれぞれ勝手なことをして統一的な対処ができていない。統帥権を盾にして勝手に動く軍部。要するに近代的な組織統一が全く出来ていないという感じがする。

 いつからこんな事になったのだろう。明治維新は画期的なことであった。若い連中が世の中を動かした。しかし、あまり話題になることは無いが、明治政府はかなり出鱈目なこともやっている。南方熊楠が反対運動を行った神社の削減等もその一つ。西欧の文化や科学技術を取り入れるのに一生懸命でかなりの日本文化を破壊した。軍隊も明治政府の最初からおかしかったと言えば、西郷隆盛の西南の役が起こる過程からしておかしなことだ。陸軍大将までやった人物が一転して賊軍となる。その当時から旧日本軍の統一性の無さが出ているのではないのか。

 話は飛ぶが、防衛庁長官の額賀が北朝鮮のミサイル基地先制攻撃論をぶっていたが、こんなことが許されるのか。戦前と根本的な体質が全く変わっていないような気がするのである。西欧合理主義には反対であるが、似非西欧合理主義を取り入れている日本は政治体制も似非合理主義で非常に危険なものを予感する。

 残念ながらA級戦犯となった広田弘毅元首相が抑えようとした当時の軍部と額賀や安倍の発言が重なってしようが無い。先制攻撃論は威勢は良いが、日本がとる道ではない。まともな外交交渉をする能力がない日本政府は、はったりの威勢の良いところを見せるのが精一杯か。酔ったので止めよう。

(2006年8月6日記)

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